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「のぼうの城」あらすじ・ネタバレ

2012.11.24 (Sat)
【登場人物】
成田家
成田長親:領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼び親しまれる人物であった。成田氏の本拠忍城は氏長の叔父・泰季が城代となって守ったが泰季が開戦直前に没したためその子長親が代わって城代となり、防衛の指揮を執った。

成田氏長:成田家の当主であり、長親の従兄弟に当たる。小田原攻めに際し、密かに豊臣側への降伏を伝えていた。が、長親がこれに叛いて戦を始めてしまったため、豊臣と北条の双方から裏切り者と見なされてしまう。

成田泰季:長親の父親。氏長にとっては叔父。長親が開戦を決めた直後に死去した。

甲斐姫:当主・氏長の娘であり、18歳。お転婆で幼い頃から城内を走り回って過ごした。美人だが、見かけによらず武辺者であり、剣技にも長けている。農民かぞうの妻・ちよを乱暴した侍を一太刀にて首を刎ねたほどである。自身が起こしたこの騒動で、この侍の門人たちが成田家に敵対の気勢を示していたのを、長親が収めて以来、長親に惚れている。

正木丹波守利英:漆黒の魔人の異名を持つ成田家一の家老。長親とは幼なじみ。幼い頃見た、上杉謙信の姿に触発され、武芸の鍛錬に勤しんだ。

柴崎和泉守:成田家家老。筋骨隆々とした巨漢。20歳以上年の離れた妻との間に6人の子どもがいる。丹波守の持つ朱槍を欲しており、少年期から常に丹波守と張り合っている。

酒巻靱負:成田家家老。22歳。「隙あらば襲ってみろ」と丹波守にからかわれたことがあり、所構わず頻繁に実行している。多数の兵法書を読み漁り、自称・毘沙門天の化身だが、実は今回が初陣。

豊臣陣営
石田三成:秀吉の側近、秀吉からは今も初名で「佐吉」と呼ばれる。理知に富むが、武運に恵まれない。北条攻めに置いて秀吉から2万の軍を与えられ、忍城攻略軍の総大将に任命される。8年前に見た秀吉の備中高松城における水攻めに憧れを抱いており、事前から忍城を水攻めで落とそうと決めていた。

大谷吉継:三成の盟友であり、秀吉からは「紀之介」と呼ばれる。秀吉から密かに忍城降伏の件を聞かされていたため、戦に転じ驚愕する。武将としての才に恵まれ、功を焦る三成や暗愚な正家を再三諫めた。

長束正家:丹羽長秀の家臣。算勘(計算)に優れている点を秀吉に買われ、借り受けられる。秀吉の直臣になってから態度が高飛車になった。弱者には強く、強者には弱く応じる。三成から忍城に対する軍使に任ぜられるが、これは戦を望む三成の忍城に対する挑発であり、結果、降伏するはずの忍城が戦に転じる原因となった。

【あらすじ】
周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍(おし)城。領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼び親しまれる人物であった。

天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を落城させんとしていた(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に篭城に参加するよう通達した。支城の一つであった忍城主の氏長は、北条氏に従うように見せかけ、裏で豊臣側への降伏を内通し、篭城作戦に参加していた。

「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」と、秀吉に命じられ、石田三成は成田氏が既に降伏を決めているとは露知らず、戦を仕掛けんとする。城はすぐに落ちるはずだった。だが、灯りもともさずに軍を進めるなどという明らかに軽んぜられた行動や、軍使・長束正家の傲慢な振る舞い、仕舞いには「甲斐姫を殿(秀吉)差し出せ」という言動に、総大将・長親は「戦いまする」と宣言する。

当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは、初め混乱するが覚悟を決め、かくて忍城戦は幕を開けた。
三成率いる2万超の軍勢に、農民らを含めても2千強の成田勢。総大将たる長親は、将に求められる武勇も智謀も持たない、その名の通りでくのぼうのような男。だがこの男にはただ一つ、他人に好かれる才能、特に異常なほどの民からの「人気」があった。

地の利と士気の高さから、緒戦は忍城側の圧勝であった。三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定する。総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設し、忍城は本丸を除いては城下を含めて水に沈む。この水攻めに対する長親の策は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することであった。長親は自らが狙撃され、討ち死にすることで農兵たちを死をも恐れず報復する「死兵」と化することで三成たちと戦うつもりだった。

止める吉継を振り払い、三成は指示し、雑賀衆が、田楽踊りを踊る長親を狙撃する。肩を撃たれた長親は一命を取り留めるが、城に入らず場外で堤作りに雇われていた百姓の中から、長親が撃たれたことと耕していた水田を台無しにされた怒りから、かぞうが石田堤を壊したため、水攻めは失敗する。

三成軍が総攻撃を行おうとする矢先、小田原城が落城したとの知らせがもたらされ、忍城も開城する。小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけだった、と後に知らされる。

石田三成自らが城に乗り込み、長親から城を受け取った。寄せ手の総大将が城を受け取るなど、普通は考えられないことだったが、三成は長親に会いたいがため、自ら乗り込んでいった。開城の条件を挙げていたところで、正家が「士分は一切の財貨を置き捨て所領を出よ」などと付け加えた。それはつまり、野垂れ死にせよ、と言うも等しかった。

この条件に、「再び戦う」と告げる。これには正家は前言を撤回するより他はなかった。そこでさらに、長親は開城にあたって条件を二つ付け加えた。一つは、戦いで深田を埋めるために使われた土俵の回収、もう一つは、降伏しに行った農民を斬った者を打ち首にして欲しい、といったものだった。これに三成も快諾し、条件を飲んだ。

甲斐姫は秀吉の側室として差し出すことになったが、甲斐姫は「猿めの骨をも蕩かせ、寝所にて奴の所領を奪い取ってやるわい」と豪語したという。

後のことだが、長親は家臣らの仕官先斡旋につとめた。成田家の戦いぶりを評価した徳川家康は、高禄をもってその多くを召し使えたという。忍城開城後は、当主・氏長に従い、会津へと渡るが、のちに不和となり退転。氏長の詫びを聞き入れず剃髪して自永斎と号した。子孫は、代々、尾州徳川家に仕えたという。


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